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園長通信(令和5年2月号)

園長つうしん

園長つぶやき~園関係者が「みんなのなかで、やりたいことをする人」に~

節分が間近になり、寒さのピークが近づいて来たように感じます。

子ども達は最後の大きな行事である劇あそび会に向けて、日々活動しています。

 

園の行事は対話で進めていますので、必ずと言っていいほどそれぞれの意見がぶつかり合います。意見のぶつかり合いは、社会でも当たり前のようにありますが、皆さんは意見がぶつかり合ったとき、解決の心がけはどの様にされていますか?

 

意見対立した時「〜すべき」というべき論で主張しあうことがよくあります。

 劇あそび会では「最後は宝が見つけて終わるがいい」「いや家に帰るがいい」

 大人の社会では「今この場はしっかりと指導すべき」「自由に考えさせるべき」

「べき論」は、自分達の正当性を主張して、相手の意見を否定する対立構造であるので、欠点をあげつらう流れになり、互いの合意点を見出せずに最終的には「譲る」「折れる」「多数決で決める」という結論になることが多くあります。

 

でもこんな時ほど、互いの幸せが一致する部分で合意した「〜でありたい」という議論が出来ればと思います。

先に互いの最終的な合意点を一致させてから意見を出し合う方法です。

 劇あそび会では「劇の最後は、登場人物がみんな幸せになりたいよね。じゃあど んな幸せがあるだろうか?」

 大人の社会では「今この場は、子どもの幸せのためにどうしてあげたらよいか」

 

「べき論」で見られる対立構造の「戦う対話」と、みんなの幸せをともに考えあう「戦わない対話」、同じ話でも、意見を出す人達の心持ちが変わると思います。

出た結論が、結果的には多数決になったとしても、「べき論」で出し合った対立的な多数決よりも、納得度の高いものになります。

 

人は動物なので、自分自身の利益が最大限になる様に考える本能が備わっています。

ただ人は知的生物でもあるので、「全体の利益」を考えらえる利他的な知恵も持っています。

「民主主義は自然に身につくものではなく、教えられて身につくもの」です。

時間は掛かりますが、自分を含めた利他的作法を学ぶために、こんな対話をこの時期に沢山しています。

劇あそび会は、そんな対話を踏まえたものと見ると、違う見え方がするかもしれませんね。